あの時もっと、「好き」と真剣に向かい合う選択をしていたのなら。

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中学時代の「好き」の原石

小学、中学、高校。10代の青春の頃、確かに存在していた「好き」の気持ち。もしも当時、真剣に向かい合っていたなら、もっと色鮮やかな日々もあったのかな、なんて考えてしまいました。

こんにちは!台北で恋人と2人暮らしをしております、Mae(@qianheshu)です。

最近、『青のフラッグ』という漫画作品を読み終わりました。

具体的なストーリーについては、ここでは触れませんが、ただただ「10代の青春って、いいなあ」と。

初めての体験と、選択の連続。

その時代の真っ只中にいる超本人たちにとっては、それが時に苦しくてたまらないはず。

ですが、大人になった今になって、客観的にその様子を眺めてみれば、その苦しみすらも何だかすごく愛おしいもののように感じられました。(それだけ、年齢を重ねたということですね。)

僕の10代の青春は、人生における特別な意味合いがあったわけでもなく、正直とっても地味なので、その時代を思い返すこと自体、あまり好きではありません。

そのはずだったのに、この作品を読んでいると、「あの時代に戻れたらなあ…」なんて、初めて思ってしまいました。

「好き」って、何なのか。

友達とは、何が違うのか。

そんなことを考えていたら、地味だったはずの僕の10代からも、その当時はまだ気づきもしていなかった「好き」の原石のようなものが、ぽろぽろとこぼれ出して来ました。

あの時もっと、「好き」と真剣に向かう合う選択をしていたなら、何度も思い返したくなるような10代の日々もあったのかなあ。

 

目次

「好き」に関する、一番幼い頃の記憶。

小学時代の「好き」の原石

あれは、もしかすると

「好き」だったんじゃないのだろうか。

 

今振り返ってみて思い当たる、

一番古い記憶は、

小学時代だったように思います。

 

僕は当時、

小学校の近くにある団地に

住んでいました。

 

近所には、同じ小学校に通う、

同い年の男の子、女の子たちが

たくさんいて、

 

毎日のように、

家の裏にあった丘や小さな公園で

遊んでいたのを覚えています。

 

一番頻繁に遊んでいた

友達ではないですが、

 

同じく団地に住んでいて、

小学校のクラスメイトでもあった、

1人の男の子。

 

運動が得意な彼は、

いつも外で遊んでいるのか、

日に焼けてこんがり。

 

時々、一緒に遊ぶこともあった

彼の笑顔は、投げかけられると

何だかほわんとした気持ちになって、

 

他の友達とは、

どこかが違う存在に映っていました。

 

僕の家で遊んでいた時、

遅れてやってきた

他の友達を驚かせそうと、

2人で部屋の片隅に隠れていた時。

 

彼がふと、

僕の肩へ腕をまわした瞬間の、

格別にうれしかった気持ちは、

今でもまだ覚えています。

 

とは言え、

まだまだ幼かったので、

 

その子のことが「好き」なんだとは、

これっぽっちも考えません。

 

他の友達たちを「好き」なのと、

何が違うのかもよく分からないし、

深く考えることもしませんでした。

 

ただ、彼と一緒に遊べた日は、

特別に楽しかったような気がする。

 

幼心には、

その程度のものだったように思います。

 

でも、彼に感じていた気持ちは、

もしかすると、

 

まだ「好き」にはなりきれていない、

「好き」の原石だったんじゃ

ないのだろうか。

 

今になって振り返ってみて、

そんなことを感じ始めています。

この気持ちは「憧れ」?それとも「好き」?

中学時代の「好き」の原石

僕にとっての、中学時代。

 

人生史上、

テレビゲームに一番

のめり込んでいた時代。

 

あまりにのめり込み過ぎて、

この時代の記憶と言えば、

 

一番に浮かび上がってくるのは

ゲームの内容ばかり、

というくらいです。

 

でも、ふと

思い出したことがあります。

 

高校受験をひかえた、

中学校3年生。

 

僕には、何だか気になる、

1人のクラスメイトがいました。

 

サッカーが得意で、

時々ツンツンにヘアセットをしていて、

 

明るいながら、

どこか大人びたような

雰囲気のある彼。

 

クラスの内外でも人気者の彼と、

席替えの後、

となりの席になっていた日々は、

 

それほど好きではなかった

学校へ行くのも、

少し楽しみだったような気がします。

 

僕の中学時代には、

まだ土曜日の午前中に

授業をする週がありました。

 

そんな土曜日の授業が終わると、

彼と、彼の仲の良い同級生たちは、

そのまま教室で自主居残り。

 

自主居残りと言っても、

補習や勉強をするのではなく、

 

上履きをラケットがわりに

即席卓球をしたり、

 

その様子を眺めながら

おしゃべりしたりと、

 

昼下がりまで遊んで過ごすのが、

土曜日のお決まりでした。

 

僕は、何となく彼と一緒にいたくて、

その輪に加わってみたり。

 

家は全くの逆方向なのに、

彼らと一緒に下校してみたり。

 

そんなことをしていた時期が

ありました。

 

僕が彼に対して感じていたのものは、

カッコいい彼への

「憧れ」だったのか?

 

それとも、僕は彼に

「好き」という気持ちを

感じていたのか?

 

それは、

友達としての「好き」なのか、

そうではない「好き」なのか?

 

自分でも、

その気持ちの正体はよく分かりませんし、

当時は突き詰めることもしませんでした。

 

ただ、

彼と一緒にいられる時間が

「好き」。

 

当時の僕は、ただそれだけで、

満ち足りた気持ちを感じていました。

「好き」を僕に感じさせてくれた、人知れぬ初恋。

高校時代の終わりと卒業

プロフィールでも触れていますが、

 

僕が10代の当時、

初めてほんのりとでも

「好き」を実感したのは、

高校時代のことです。

 

進学校だったので、

レベル別の英語の授業が

あったのですが、

 

そのクラスで一緒になったり、

クラス委員の集会で

時々顔を合わせたり。

 

小中学校で登場した2人とは違って、

まともに会話すらしたこともない、

そんな同級生でした。

 

彼もやっぱりスポーツが得意で、

二重のパッチリとした目が

チャームポイント。

 

彼は僕のことを

認識しているのかどうかすら怪しいほど、

接点が少ないのですが、

 

校内ですれ違うたび、

なぜか彼の目に

惹き寄せられてしまって。

 

その瞬間が、何だかうれしくて、

毎日楽しみで。

 

「好きって、こういうことなの?」

と感じさせてくれた、

初めての相手でした。

 

ある時期から、

同級生のとある女の子と、

一緒に歩いていることが多くなった彼。

 

「男の子なら、「好き」の対象は女の子。」

 

僕が、男の子である彼に感じている

この「好き」はきっと、

「好き」とは違うものなのだと、

当時はそう思っていました。

 

だからこそ、そんな姿を見ても、

ショックを感じるでもなく、

 

ただ淡々と

「そういうものだよね。」

と、思うだけでした。

 

もともと、

接点はほとんどない僕たち。

 

その人知れぬ

「好き」(に似た)な感情は、

何の進展を遂げるはずもなく、

 

やがて卒業とともに、

自然と消えていきました。

 

磨かれることはなかったとしても、

「好き」の原石の存在に、

多少なりとも気づいたという点においては、

当時の僕にとっての初恋。

 

ただ、僕にとっての「好き」が

どういうカタチのものであるのか、

 

本当の意味で知ることになるのは、

もう少し後になってからのことでした。

あの時もっと、「好き」と真剣に向かい合う選択をしていたのなら。

にじいろシールで封をしたピンクの封筒

「男の子は、

女の子を「好き」になるもの。」

 

そう思い込んでいたこと、

そうじゃない可能性だってあること。

 

もしも、それを

幼い頃から知っていたなら、

 

僕はもっと早い段階で、

自分の「好き」に

気づいていたのかもしれません。

 

そして同時に、思うのです。

 

僕はあの時、

どうして「好き」と

真剣に向かい合わなかったのだろう?

 

「好き」って、何なのか。

友達とは、何が違うのか。

 

自分にとっての「好き」って、

どんなものなのか。

 

男の子たちに感じている、

この「好き」に似た感情は、

一体なんなのだろうか。

 

それを真剣に考え始めたのは、

10代がまもなく過ぎ去ろうとする年齢に、

差しかかってからのことでした。

 

もしも、もっと早く、

これまでにこぼれ落ちて来た

「好き」の原石たちに

気づいていたなら。

 

その原石から湧いてくる想いに

素直に従って、放置せず、

磨く選択をしていたら。

 

磨いて磨いて、

「好き」を「好き」と確信して、

素直に口にできるほどの、

強さと輝きを持っていたなら。

 

地味だった10代の青春を、

もっと色鮮やかに思い返すことができる

自分がいたのだろうか。

 

彼らのことをふと思い出しながら、

今になってそんなことを思いました。

 

もしも今、

あの時代に戻ることができたなら、

 

今度こそ僕は「好き」と、

真剣に向かい合えるのかなあ。

まとめ

中学時代の「好き」の原石

今日は、

あの時もっと、

「好き」と真剣に向かい合う

選択をしていたのなら

というお話でした。

 

きっと誰にも、

10代の青春にやり残したこと、

実現できずに終わってしまったこと、

未練を感じていることが

あるのでしょうね。

 

だからこそ、この世界には、

悩み多き青春時代を

キラキラと明るく、

尊く描いた作品が

多いのかな、と。

 

あの時代にできなかったこと、

やりのこしたことがあるからこそ、

 

その想いを作品にしたり、

(託される側にとっては面倒なことですが)

子供たちに託したりするのだろうな、

と感じています。

 

みなさんにとって、

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