これまでに越えてきたあらゆるカミングアウトは、周りの人の支えあってこそ実現できたのでした。
こんにちは!先日ボーイフレンドがついに兵役へと旅立ち、遠(中)距離恋愛真っ只中のMae(@qianheshu)です。
これからしばらくは一人の時間が増えることになりそうですが、これもある意味で新しい一歩。
「今だからこそできること」を探しながら、大切に過ごしていきたいと思っています。
さて、今日は『カミングアウト編』の最終章「後編」です!
前回までは日本にいた頃に体験したことのお話でしたが、最後となる今回は台湾での生活を始めてからの2つのカミングアウトについてご紹介したいと思います。
「クローゼットから脱出する」という目的が主だったこれまで比べてみると、カミングアウトの意味が、僕の中で少しずつ変わり始めていました。
一体それは、どんな変化だったのか?
前回までをお見逃しの方は『前編』と『中編』をぜひご覧になってから、読み進めてみてくださいね!
「会社」へのカミングアウト。
台湾でのカミングアウトは、いつも唐突。
台湾の友人たちとKTV(カラオケ)へ行ったときも、
食事の集まりに参加したときも、
ガールフレンドが云々…という話になって僕が戸惑っていると、
「ここは台湾なんだから、何でも打ち明けて大丈夫!」
僕が台湾で出会った人たちは、決まってそうささやきかけてくるのです。
そんな「突然」を重ねるうち、
積極的に「オープンにしていこう!」としているわけでもないはずなのに、
僕がゲイであることを知る人は自然と少しずつ増えていくのでした。
リクルートスーツ姿で春の日射しの下を駆け回っていたあの日も、
それは突然に訪れました。
僕は、就職サイト上でオファーをいただいたある会社へ、
面接を受けに向かいました。
「日本でデザイナーをしていたこと」
「日本語ネイティブであること」
「中国語でもコミュニケーションが取れること」
履歴書に公開していた経歴や能力が、担当者の目に留まったようでした。
いざ面接が始まると会議室に現れたのは、
僕よりもひとまわり背丈が小さく、2cmほどに伸ばした口髭を蓄えた
50代前半くらいかと思われる男性。
「キミ、日本人やってね?」
その人の口から飛び出したのは意外にも、流暢な関西弁でした。
今、目の前で椅子に腰を下ろしているこの男性こそ、
デザイン事務所の日本人社長。
白Tシャツにカーキ色の半パンという、
僕のイメージしていた「社長イメージ」とはだいぶギャップがある
リラックススタイルながら、一会社の社長としての貫禄は
少しも揺らいでいませんでした。
日本での仕事をまとめた作品集にはほとんど目を通すこともせず、
社長はただただ関西弁で、僕に質問を投げかけてきます。
「日本では仕事経験あるのん?」
「中国語話せるん?」
「デザインのどこが好きなん?」
志望理由や作品集に関する説明を中国語で求められる
と思っていたにもかかわらず、面接は基本的な質問かつ日本語で進んでいきました。
会社に急ぎの用が入っていたのか、あまりにテンポが良すぎるため、
「あぁ、興味持たれてないかも…」
と、若干の不安を感じ始めたころ。
予想だにしなかった「突然」がここでやって来ました。
「キミってさ、男子が好きなん?」
「…んっ!!?」
面接であるということすら忘れ、思わず素の反応をしてしまった僕。
何ゆえそんなことを聞くのかと、
驚きのあまり思考回路がストップしてしまいました。
「いや、ウチの会社オープンだから全然大丈夫よ!
昔いたスタッフの子もそうやったし。」
そう聞いても、意図するところがはっきり分かったわけではありませんでしたが、
「会社としてその子に対して配慮が足りなかったと
課題に思っていることがあるのかもしれない。」
その場では、そう判断することにしました。
そこで、
「実は、そうです!」
と、満面の笑みで返してみました。
「今ここで伝えておけば、
仕事をする上でも、余計な気づかいをせずに済む。」
心の中には、そういう思いも同時に浮かんでいました。
僕にとってのカミングアウトは、
気づけば「理想的な環境に近づく」ための手段として、
その意義を変化させていました。
自分が同性を好きであると告げることに対して、
日本にいた時のような迷いや焦りは、もう少しも感じてませんでした。
そして。
突然のカミングアウトを聞いた社長は、
何の躊躇もなくあっさりと、こう答えました。
「OK!了解!
じゃ、もし他の会社ダメだったらウチ来なよ。」
「はっ… あ、ありがとうございます。」
台湾での初内定獲得の瞬間は、
意外なほどのスピード感を持って僕にもたらされたのでした。
結果的には「他社の結果を待ってくれる心の広さ」や
「仕事内容への興味」はもちろん、
「同性を好きであることへの理解」の面でも魅力を感じて、
このデザイン会社でお世話になることにしました。
この時点で語学留学期間があと6か月残っていたことも話すと、
何と留学終了まで待っていただけるというフレキシブルさ。
こんなにも要望を尊重してくれる会社に出会えて、
ホントにラッキーだったと思わずに入られません。
入社日から数えると、もうすぐ丸3年。
スマホに向かって話す関西弁を背中に聞きながら、
僕は今日もパソコンモニターと格闘しています。
ちなみに、あの時「なぜ僕が男子を好きだと思ったのか?」と
社長に聞いてみたことはまだありません。
「妹」へのカミングアウト。
僕には8歳年下の妹がいるのですが、彼女とは小さい頃から特になかよしでした。
今では見る影もないほどほっそりとしてしまいましたが、
幼い時は顔のお肉が豊富だったため、勝手に「ぷに子」と命名し、
ほっぺたをつつきまわしていたのを今でもよく覚えています。
そんな妹も、今や大学最終学年。
「すっかり大人になったんだな。」
と、しみじみする出来事が、つい最近起こったのでした。
妹がFacebookを始めたというので、友達登録をしてから2週間ほどが過ぎた頃。
一通のメッセージが、僕のアカウントに届きました。
「和樹〜 ブログ見つけてしまったよ。」
Facebookのプロフィールに公開しているWebアドレスからたどり着いたか、
ブログのファンページを発見したかのどちらかだと思われるのですが、
とうとう妹の目の前のモニターでも『にじいろ台湾』が開かれたわけです。
僕が同性を好きであることを知られたくないわけではありませんでしたが、
突然の報告に心臓が飛び上がりました。
メッセージには、続いてこう書かれていました。
「ずっと女の子には興味なんだろうなって思ってたけど、
そういうことだったわけね。
正直まだ受け入れきれないところもあるけど、
相当つらかったんだねって考えてたら、
私もちょっと泣いちゃった…」
SNSは今や、僕のカミングアウトツール。
Facebookの友達申請を受けた時点で、
その可能性を全く考えなかったと言えば嘘になりますが、
兄の生々しい話を突然目にしてしまって、身内だからこそ動揺は大きかったのでしょう。
知ってしまったことを僕に伝えずに、見なかったことにすることもできたはず。
それでも、メッセージを送ることを決心してくれた理由は、
次の一言に凝縮されていました。
「でもね、和樹は大事な兄妹なんだから、
1人なんかじゃないよ!!!」
妹の心の中は困惑とショックでいっぱいだったはず。
それにもかかわらず、赤ちゃんの頃から知っているあの女の子が、
僕にこんな言葉をかけてくれた…
僕が同性を好きであるという事実に
真正面から向き合ってくれたことへの感謝はもちろんのこと、
何よりも彼女の心の成長ぶりに、涙が溢れそうになりました。
『にじいろ台湾』というブログを始めた理由。
ブログを通して伝えていきたいこと。
父親と母親にはカミングアウト済みであること。
彼女が感じているであろう不安に少しでも答えられるよう、
僕の思いの丈をぎゅっと詰め込んだ後、enterキーに力を込めました。
…
「(和樹のボーイフレンドに)いつか会わせてね^^」
返ってきた白い吹き出しの笑顔に、
クラスの人気者を務める妹のいつもの明るさを見た気がしました。
しかし、突然すぎたカミングアウトに、
彼女の胸の中には今も煮え切らないものを抱えてしまっているもしれない。
それを少しずつ取り除いてあげるためにも、
帰国のときにはできるだけ大阪に立ち寄ってあげようと、心に誓うのでした。
ねえ、今度は一緒に道頓堀のたこ焼きでも食べよっか。
まとめ
今日は、同性に恋する僕が体験してきたリアルストーリー
『カミングアウト編』(後編)をお送りしました。
「前編」、「中編」、「後編」と全てお読みいただいた方の中には
気づかれている方もおられるかもしれませんが、
僕のカミングアウトは自分から話を切り出したものが、実は全くありません。
すべては
周りの人が聞いてくれたから、見つけてくれたから成り立った
ものばかりなんです。
それは単純に、
「自分から面と向かって言いだすだけの勇気がないから。」
だったのかもしれません。
しかしだからこそ、せめて相手から働きかけてくれたときには
「真摯に対応しよう。」
「嘘をつくのはやめよう。」
と心がけてきました。
そんな約束を自分とするだけでも、
オープンに生きることはできるのだと知ることができました。
どうしてもカミングアウトに踏み出せない方へ、
まずは「ありのままに答える」ことから始めてみてはいかがでしょうか。
『カミングアウト編』に記した6つのカミングアウトが、
あなたの勇気にお力添えできるよう願っております。
それでは、今日はこのあたりで。
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